【バンドマン全力坂】ロケハン

5月1日はバンドマン全力坂ロケハン日。
文京区の坂、17箇所を見てきました。
4つほどピックアップ。

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】
『江戸砂子』によれば、今の白山、東洋大学の北西は、里俗に鶏声ヶ窪といわれるところであった。明治2年(1869)に町ができて、鶏声暁にときを告げるところから、あけぼの(暁と同じ)を取り町名とした。この坂の場所と、旧曙町、鶏声ヶ窪とは少し離れているが、新鮮で、縁起の良い名称を坂名としたのであろう。
この坂は西片と白山を結び、人びとの通学や生活に利用されてきた。昭和22年(1947)には旧丸山福山町・曙会の尽力により石段坂に改修された。
Akebono-zaka
距離 約20m
難易度 1/5

賀坂

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】
白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。
伊賀者の同心衆の組屋敷があった(『御府内備考』)とか、真田伊賀守屋敷があった(『改撰江戸志』)という二つの説がある。
『東京名所図会』では真田伊賀守説をとっている。伊賀者は甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。
Iga-zaka
距離 約30m
難易度 2/5

殿坂

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】
「御殿坂は戸崎町より白山の方へのぼる坂なり。この上に白山御殿ありし故にこの名遺れり、むかしは大坂といひしや」(『改撰江戸志』)
「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見えし故に、富士見坂ともいえり」(『江戸志』)
白山御殿は、五代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林候時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。
綱吉の将軍職就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保七年(1722)園内に”赤ひげ”で有名な小石川養生所が設けられた。また同20年には、青木昆陽が甘藷の試作をした。
明治になってからは東京大学の付属植物園となった。
植物園の松の花さへさくものを
離れてひとり棲むよみやこに  若山牧水(1885-1928)
Goten-zaka
距離 約110m
難易度 4/5

見坂

【標識(文京区教育委員会設置)の説明】
「白山神社裏門の南、小石川御殿町と指ヶ谷の間より南へ御殿町へ上る坂あり、逸見坂といふ、旧幕士逸見某の邸、坂際にありしより此名に呼ぶなり」(『東京名所図会』)
武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿町」で、逸見坂はその北のはずれにあたる。
町名の由来は、白山御殿(後に五代将軍になった館林候綱吉の屋敷)からきている。
御殿廃止後、幕府の薬園(現在の小石川植物園)となる。
坂の西側の「本念寺」には蜀山人(太田南畝)の墓がある。
Henmi-zaka
距離 約70m
難易度 4/5

日のバンドマン全力坂有志

一般募集で参加してくれた、なおこ氏。
ありがとうございました。

Naoko
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