気のコントロール

無計画に生きる。
年を重ねるほど、計画的に生きるようになるのかと思いきや、どんどんその逆に進んでる。

いくら計画的に生きていても、災害に巻き込まれたり、病気に見舞われたり、未来は予測できない。
予定は立てられても、予知はできない。
自分自身のことでさえも、5分後に何を考えているかさえ予知できない。

ここのところ、「気」だったり、「霊」だったり、そんなものにハマってる。

昔から神秘めいたことは好きだし、神秘的な体験もしているから、スピリチュアルな世界に興味があるのだけれど、宗教も、引き寄せの法則も、非二元も突き詰めていけばいくほどに、とても哲学的で、とても論理的で、神秘めいたところがない。
なんとも科学的だ。
合理的で、頭で理解可能な領域にある。

だから、それはとても正しいのだけれど、あぁ、僕は正しさを求めてはいないんだな、と。
それらは「愛し合うと子供が生まれる」というように、本当はもっと具体的な事実がわかっているのに、神秘めいた例えで伝えている。

東洋医学のツボや鍼が、どうして効果があるのが未だにわからないように、だけれども効果があるということはわかっているように、そんなもののほうに真実があるような気がしてくるのだ。

「気」というよくわからないものではあるけれど、「気が重い」「気を遣う」「気疲れする」「気が強い」など、みんなわからないままに気の存在は認めていて、みんなそういう現実視できないものに、現実を動かされている。

そんなこんなで突き進めていくと、因果さえ存在し得なくなって、「こうしたから成功した」とか「これをしたから失敗した」とか、そんな常識も嘘に思えてくる。

今、目の前に起きていることに、自分がどんなストーリーをつけようと勝手なのだけれど、理由を変えても目の前の真実は揺るがないのだから、だったら「よくわからないけれどこうなった」という理由が一番まともなような気がする。

そんなわけで、目に見える力に飽きてしまったから、しばらく目に見えない力を信じて生きるのだ。

スポンサーリンク

あなたにおすすめの記事