美しい文章が好き

なわけだ。

特別、自分が美しい文章を書けるわけではないけれど、ブログのアクセスを上げるためには検索されるワード、関連ワードをたくさん埋め込めなくちゃいけない。

例えば、僕の書いてるギターについての記事なら、「ギター」「講座」「レッスン」「コツ」「やり方」「方法」「初心者」など。
みんな、Yahooやgoogleなんかで検索してくる時にそういう言葉を入れてくるから。

「ギターを演奏するコツ」だけじゃ弱い。
「ギター」「方法」で検索してくる人もいるから。

だから、「ギターを演奏するコツや方法」と書かなきゃいけない。
だけど、それでも弱い。
「ギター」「弾き方」で検索してくる人もいるから。

だから、「ギターの弾き方、演奏するコツや方法」と書かなきゃいけない。
そんなふうに、同じ意味の言葉を何度も使って、とても国語的に間違った表現をしなきゃいけなくなる。

昔から、海外小説が翻訳されたものは文章が読みにくいものが多くて嫌だったり、実用本のようなものを文章が上手な人は稀で、読み物としては苦手だったわけで、そんなプライドが邪魔してか、分かってはいてもそんな日本語らしくない文章は書きたくないと思っていた。

だけど、見られなきゃ意味がないんだよね。
自分が正しいと思う情報を与えたくても、そこにたどり着いてくれる人がいなきゃ始まらない。
検索上位に出てくる内容の稚拙さに、ただ愚痴を言ってても仕方ないわけだ。

事実、僕だって、自分の知らないものを探す時だったら、例えば、
「大阪」「食事」「おすすめ」
とか、そんな言葉で検索するわけで、みんながやっていることと一緒だ。

そして、自分の知らないことだから、内容が正しかろうが正しくなかろうが、たくさんの人に見られていて検索上位に来ていればなんとなく信じてしまう。

ノウハウを持っている者が検索の上位に来て、有益な情報を持っている者が検索の下位に来る世界なんてなんだか悲しいなぁ、と思うのだけれど、それが「世間」なのだから仕方がない。
「美しさ」や「正しさ」よりも、みんな「安心感」を求めているんだなぁ、と。

そんなわけで、「ちょろり言」つまり今までのブログやnoteで書いてた文章は、そんなことを気にせずに自由に書いても一定の人が見てくれるわけだから、とても楽しいわけだ。

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