「死にたいと願う人」「本当に死んでしまう人」

色んな人に出会ってくると、外見だけでわかるものが沢山ある。
外見と言っても、顔のパーツだけではなく、表情、姿勢、しぐさ、視線の送り方、食べ物の食べ方など色々ある。

逆に、話をしてその人のことを好きになったり、嫌いになったりすることはあまりない。
必要な情報は会話そのものにはないな、と思う。

誰だって、「死にたい」と考えることはあるだろう。
この世は、そんな人たちが生きている世界だ。

だから、そんな言葉にも慣れてしまって、あまり心配しなくなったのだけれど、実際に死んでしまった人も見てきているわけで、「あ、この人は死なないな」「あ、この人は死ぬかもしれないな」と感じるようになった。

そう感じると、次に考えるのは、「この人を生かすことは僕にはできないな」「この人を生かすことは僕にできるかもしれないな」となって、そうやって見ていくと僕が関われる人というのはごくごく僅かだな、と思う。

そう、だから僕の大好きな人たちはそんな人で溢れている。
「死ぬかもしれないな」と思う人だから、「生かすことができるかもしれないな」と思うから、関わりたいと思うのだろう。

 
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