お持ち帰りしなきゃいけない感

この間2,3年振りに再会した方と、さっき飲みに行ってきて、学生時代の話になったので、今その頃の自分を思い出している。

中学とか、高校とかって今はどうかわからないけれど、自然と4、5人くらいのグループができるもので、そういった小さなコミュニティの中に属しながら色々と生活していくものなわけで。

僕はどこにも属さないような、もしくはどこにでも属しているような、ふわふわとした存在だったけれど(今も大して変わらないかな)、それでも一定に群れるグループというのはあって、そんな中に入ってるとみんな自分よりかっこ良くて輝いて見えたなぁ、と。

女子的に見れば、いわゆる「チャラい」もしくは「不良」なグループであったけれど、みんなモテる人達で、一緒に過ごしているとどうしてモテるのかということが見えてくる。
根はみんな真面目な人達で、ちゃんと芯を持っているし、世の中を俯瞰してみている。
俯瞰力があるから、女の子と遊ぶわけだ。女の子にモテるわけだ。

お持ち帰りされる女の子が溢れていて、それはお持ち帰りされたいと望んでいる子がそれだけ多いということで、寂しいと生きている人がそれだけいるということで、優しくされたいと思っている人がそれだけいるということで、だから彼らは「こんなことして本当にくだらない」と言いながらそんなことをして過ごしていた。
だって、それが世界だから。それが現実だから。

そんなわけで、彼らはちゃっかりお持ち帰りされることのない堅実な彼女を手に入れていて、あぁなるほど、そうやって人を見定めながら生きているんだなぁと感じたりする。

人っていうのは、一定の距離感を取っている時はみんな大して変わらない。
笑わせたり、怒らせたり、悲しませたり、苦しめたりした時に、本性というものが出てくる。
彼らはおちゃらけているようで、とても頭がいい。
無鉄砲なようで、強引なようで、実は慎重に行動している。

 

僕はそんな彼らを見て、彼らに憧れて生きてきたわけで、なりたい人になるためには、なりたい人の真似をして生きるしかないわけだ。
そういったことで、たくさん学んできたものがある。
そして、同じように生きてみると、「こんなことして本当にくだらない」と思うわけだ。

だけど、人には性分というものがあって、なりたくてもなれないものがあるんだなぁ、と気づいていく。

今だって、やっぱり、憧れる人達の中に僕はいるのだけれど、彼らを間近で見られるだけで十分で、彼らに流されて生きるだけで楽しくて、だけど彼らの誰かになりたいとは思わない。

 

10代の頃と変わったのは、それくらい。

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