「ありがとう」を言わない国

「何かしてもらっても、ありがとうって言わない」というと、「どうして?ちゃんと感謝の心を示さなきゃダメだよ」と結論付けてしまう人がいる。

これって、つまりどういうことかというと、その人にとっては、何かする、してもらうということは特別なことだと思い込んでいるから、そういう結論になってしまうわけだ。

例えば、電車でお年寄りに席を譲った時、風邪をひいた友達を看病した時、その行為を「親切」と考えているから「感謝」を受け取ることが必要になるわけだ。

 

いつの間にか、そういう文化に日本もなってしまったけれど、なんでも「ありがとう」というのはアメリカ的な文化でアジア圏の一部には今も「ありがとうを言わない文化」がある。
日本でも、夫婦間で妻が「毎日家事しているのに、夫はありがとうのひとつも言ってくれない」なんて話をよく耳にしていたので(それも一昔前の話かもしれない)、やはり日本もそういう文化だったのだろう。

「ありがとう」という言葉は、他人行儀な言葉だという。
「当たり前」に他人と自分の境界線を引く言葉だからだという。

昔、日本には「個人」という概念は無かったという。
西洋から言葉が入ってきて、「自分と他人」という概念が出来たそうな。

 

アメリカが「Thank you」をすぐ言うのはなんとなく理解できる。
色んな民族が接してきた国だからだ。
それが今、日本でも根付いてきている。
つまりは、そういうことなのだろう。

 

僕も、ありがとうを言わない子供だった。
特別、民族的なこと、他人行儀だという意識はなかったから、言わなかったというよりは言えなかったに近いかもしれない。
特に、両親、兄弟、親友、恋人などの親しい人には、ありがとうは言わなかった。

「ありがとう」って、楽になる言葉だったんだよね。
何かされたことを、打ち切りにできる言葉。

恩を忘れることができるし、どんどん溜まっていくこともない。
いつか返そうという気持ちを持ち続けることができない、そんな恐ろしい言葉。
だから、親しい人ほど、軽い気持ちで言うことが出来なかったんだよな。

 

そんな僕も、今は一日に何度も「ありがとう」を使うようになった。

ひとつは、時代に流されて。
ひとつは、上に述べたようなひとつの結論しか持ってない人への対応が面倒くさいから。

要は、「ありがとうは他人行儀」という考え方の人がほとんどいなくなったから。
だったら、使う側も使われる側も、言われて嫌な気分になる人はほとんどいないのだし使ったほうが得だ。

ただ、「ありがとう」を使うも使わないも個人の自由だと思うが、せめてその個人の自由が守られる国であってほしいな、と思う。

ではでは、今年も宜しくお願い致します。

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