リア充という悲劇

言葉というのは、時代が生むものだ。
その言葉に共感できる人達が一定数いないと滅びてゆく。

「リア充」とは「現実生活(リアル生活)が充実している」という意味だが、つまりはネットが蔓延るようになって出てきた言葉だ。
すでに、古い言葉にはなっていると思うが、いまだにSNSやネット、巷で耳にするのでしぶとく生き残っているのだと思う。

先日、本屋に立ち寄ったら、相変わらず「幸せとは何か?」に関する本が、店内の目立つところにディスプレイされていた。

そりゃ、そうだ。
幸せは、他人から見えるものじゃない。
幸せは、他人に知ってもらうためのものじゃない。

昔、「KY」という言葉が流行った頃、その世代の人間は空気が読めた。
それに影響して、どの世代も空気を読むことを意識するようになった。
それがまた、滅多に聞かなくなって、空気が読めない人が増え出している。

「リア充」という言葉には、人から見える幸せ、人に見せる幸せ、という意味を含んでいる。
つまり、「幸せそう」な光景だ。
そんな「幸せそう」のために、みんな躍起になっている。

本来、人に発信していく立場でありながら、ここ数日SNSやブログをあまり更新できずにいた。どうしてかっていうと、リア充だったからだ。

幸せとは、人の目が触れられないところに存在している。

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