抱ける女は抱いていく

自分のことが少しずつ分かってくると、自分に嘘をついて生きてきたなぁ、って思うようになってくる。

友達と遊んでたりでもそうなのだけれど、人前に立つようになったり、社会という枠に入るようになると、尚更そんなふうに自分に嘘をついて生きるようになってくる。

最近、強く思っているのは、言葉に出すか出さないか、行動に移すか移さないかはあまり重要じゃなくて、結局そこが違っても心の感じ方が違わなければ何も変わらないな、ということ。

お客様あっての商売だと、嫌でもそんな部分を意識しなければいけなくなるのだけれど、「ファンにこんなふうに思われたら良くないな」「ファンを傷つけないようにしなきゃな」とか思って、言葉や行動を気をつけるのだけれど、その「思って」は実は思っていなくて、単純に失う怖さがあって、そう思うようにしているだけに気づく。

本当は、音楽に100%絶対的な自信がないから、他に自分を守るために、そうやって綺麗な理由を作って、自分の心を見ないようにしているだけなのだ。

薬物で捕まったアーティスト、不祥事で炎上したアーティストにも、そこから堕ちてしまって二度と戻ってこれない人と、それでも戻ってこれた人がいる。
犯罪を肯定はしないが、他人事としてみれば正直そんなことはどうでもよく、それでもこの先も音楽を作り続けてほしいか、それでもこの先の音楽を期待するか、ということにしか興味はない。

ここのところも、そんなこんなの話題や、不謹慎だどうだとか騒がれているけれど、不謹慎だと言われる人の心を覗けば、実は美しかったり、不謹慎じゃなく見える人の心を覗けば実は不謹慎なことを思っていたり、けっこう中身がぐちゃぐちゃだったりすると思う。
僕もそんな中のひとりで、不謹慎な行動や発言を控えても、心は不謹慎だったりする。

そんな自分を、自分しか知らないのかもしれないが、心で思ったことを言葉や行動にしないほうが、なんだか情けない生き方だなぁ、と感じるわけだ。

嫌われる勇気と、それでも嫌われないであろう自信を持って、生きたいものだ。

 

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