時間は未来から過去へ流れてる

「時間は存在しない。時計が存在しているだけだ」

ってのは、コーチング理論というか、そんなわけでけっこう一般的になってきているし、実際僕もレッスンなんかで教えていたりするのだけれど、やっぱりそういう解釈ってなかなか難しいよね。

「過去の積み重ねが今になってる」って考え方のほうが腑に落ちると思う。
そう、腑に落ちる。
でも、その考え方では上手くいかないのだ。

 

僕もなかなか合理的な人間だから、色々と頭で理解できないものに苦労するのだけれど、ここんところは釈迦的解釈よりイエス的解釈で物事を考えるようにしている。

釈迦の思想はとても科学的だから、例えば「手に持ったボールを離すと落ちる」っていうのを、「これには重力があって~、空気抵抗があって~、物体の形を元に計算するとどれくらいのスピードで~」って感じなんだけど、イエス的解釈はもっとシンプル。
「離せば落ちるやん」「それ、当たり前やん」って感じ。

結果は同じなんだよね。

だけど、人間って自分にとって大事なことは、その大事さと同じくらいに複雑に考えたがってしまう。
たいして、興味のないことは「それが普通」「当たり前」だけで済ませてしまえるのに。

それが、「手に持ったボールを離しても落ちないためにどうするか?」といった宇宙の法則に逆らったことをしてしまうことになる。
重力をコントロールするとはそういうことではない。

 

重力を憎んで、支配下に入れるのではなく、重力を愛して、共に生きるしか方法はないのだ。

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