月をさす指は月ではない

大乗仏教中観派の祖と言われているナーガールジュナ(龍樹菩薩)が書いた『大智度論』の中に出てくる言葉に、

 
『「月だ」と月をさす指は、あくまで人の指であって月ではない。月を指さされた時、その指にとらわれていると月を見ることができないものだ。とはいえ、その指がなければ私たちは月の存在に気づくことができないし、月の方角も分からない。』
 
つまり、釈迦の悟り(月)を伝えるため、説法の形で語られたもの(指)が仏教の教えということ。
 
例えば、ヨーグルトを飲んだことのない子どもに、「ヨーグルトってどんな味なの?」って聞かれたら何て答えますか?
例えば、恋をしたことのない少女に「人を好きになるとどうなるの?」って聞かれたら何て答えますか?
 
いくら口で説明したところで、本質にはたどり着けず、「飲んでみること」「恋をすること」が真実だよね。
 
別にありがたい教えを学ばなくても、そんな簡単なこと、誰でも知ってるはず。
だけど、世の中見渡すと言葉ばかりに捉われて本質を見失ってる。
みんな、「指」にばかり注目してて肝心の「月」を見ようとしない。
 
インターネットが普及して、言葉のコミュニケーションが主流になってきたせいか、お互いがそんなふうに指について語っていて、月をさした指のほうばかり見ている状況を端から眺めると笑ってしまうくらい滑稽なのだけれど、当の本人たちは真剣なわけだ。
 
だけど、LINEのようなスタンプで会話する形が増えてきたから、これからまた、少しずつ変わっていくのかな、とも思う。
 
例えば、この画像見てどう感じる?
 
警戒
 
「怒ってるように見える」
「笑ってるように見える」
「悩んでいるように見える」
 
印象は人それぞれだけれど、これが言葉のコミュニケーションだけだと、相手が「怒ってる」「笑ってる」という感覚を覚えてしまいがち。
 
それが画像になれば、「私はあなたが怒ってるように感じる」と、「私はそう感じる」と認識できるようになると思うんだよね。
 
例え、それが真実じゃなくても、それが真実だと思い込まないでコミュニケーションできる分、それは真実に近いのかな、と思う。
そう、相手のことなんて分かりっこないのだから、より曖昧なほうが真実に近いのだ。
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