どうして「できる人」は他人のために生きるのか?

色んな人と出会ってきて思うのは、忙しいであろう人ほど僕のために時間を割いてくれるということ。

いわゆる「他人のため」に生きているように見えるのだけれど、表向きは同じでも実際は2種類ある。
 
簡単に言うと、「僕に何かしてもあなたには何の利益もないだろうに」って人と、「僕に何かすることであなたも何かを望んでいるよね」って人。
 
例えば、社会的に立場が上の人が無償で立場が下の人をサポートするようなもので、一見どこに利益があるのかわからない。
未来を見据えた投資のようなものならわかるけれど、未来に何の利益も見えない関係性というものがある。
 
で、実際、そういう関係性にあったほうが何故か後々大きな利益を生む結果になることが多い。
 
逆に、「僕に何かすることであなたも何かを望んでいるよね」っていう、未来を見据えた投資だったり、同等の立場での恩の着せ合いだったり、物質的または精神的見返りを求めた関係性ってのは上手くいかないことが多い。
 
つまり、「あなたのため」という建前を提示して「自分のため」という本音で動いている人達だ。
これには、当の本人も気づいていなかったりする。
だけど、「他人のため」と意識している時点で、それはすでに「自分のため」なのだ。
 
誰だって、自分の幸せを望むものだが、自分の幸せを望んで動くと幸せはどんどん遠のいていく。
人生とは、そんなあべこべで厄介なものだ。
 
じゃ、「他人のため」を意識せず、「自分のため」も意識せず、掴むことができる幸せってどんなだろう。
 
それは、「自分の好きなことが、勝手に他人のためになってしまっている」という状態だ。
 
 
僕の場合でいうと、人と人を繋ぐことが趣味みたいなものだから、それが「自分の好きなことが、勝手に他人のためになってしまっている」状態かなぁ、と思う。
 
もちろん、誰かに誰かを紹介すれば感謝されるのだけど、正直何で感謝されるかわからない。
大げさに言えば、そんな感覚だ。
 
だって、それは例えばイヌが近寄ってきたら頭や背中を撫でるようなもので、別に犬を喜ばせたいから撫でたわけではない。
なんとなく触りたくなって、なんとなく可愛いなと思って、撫でたらなんか犬が喜んでる。
そんな感じだ。
だけど、一度その流れを知ってしまうと、いつの間にか「撫でたら喜ぶから撫でる」「喜ばせるために撫でる」と、撫でるという動機が結果を想定したものに変化してしまうことがある。
それがいけない。
 
まぁ、そんなわけで、何も考えずやってきたことがいつの間にか人脈が増えることに繋がって、勝手に人が集まってきて、勝手に仕事が集まってきて、人生上手く回ってる。
 
今も色々やってるけど、やっぱり「他人のため」「自分のため」にやったことは何も上手くいかない。
だから、やっぱり、ただ「自分の好きなこと」を続けていくことが「できる人」になる近道なのかなぁ、と思う。
 
ちなみに僕がやっていることって、色々違った種類のものをやっているように感じているかもしれないけれど、実は一貫してる。
 
「あなたと何かを繋ぎたい」
 
そう、それで一貫してるのだ。
 
そんな僕の趣味が、世のため人のためになろうがなるまいが構わないが、なっているならそれはそれで宜しい。
 
いやぁ、「未来じゃなく、今幸せになりなさい」とはよく言ったもんだ。
例え5秒先でも、幸せを望んで動くと必ず転ぶ。
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