みんな、それぞれのエゴで生きている

最近、「エゴ」について勉強しているのだけれど、エゴとは「自分と確認するための幻想」であることが分かった。

好き嫌い、正しい正しくないが多い人は、まさしくそれで、好きなもの嫌いなもの、正しいもの正しくないものを持たないと、「自分の存在」を保てない。

例えば、野良猫がネズミを捕まえて、殺して、食べたところで、そこには良いも悪いも、正しいも正しくないもなく、完璧な光景なのだけれど、そこに「自分の」意見を取り入れることで、自分の存在を助長する。

毛皮を取るために動物を殺しちゃいけないけれど、家にゴキブリが出たら殺していい。
汚れを落とすために、洗剤や石鹸を使うわけだけれど、そうやって菌はたくさん殺してOK。

本当は、地球が自転しているのは正しいかどうか?良いことかどうか?と議論しているのと同じで、起きていることが全てなのだけれど、「自分の存在」を確かめるために何かに対して意味づけをする。

「自分の存在を失うことが苦からの解放」みたいなことを言うけれど、その意味がなんとなくわかってきた。
どれだけ、無意識に「自分の存在」を確かめるための行動をしているかということだ。

「自分の~」「○○な自分」「自分が~」と、自分を意識した行動、自分がつく行動はすべて自分を存在させるためだ。

 

自分が消えるほど怖いものはない。
そもそも、自分は存在しなかったことに気づくことほど怖いものはない。

その怖れから逃れるために、皆、笑ったり泣いたり、喜んだり嘆いたりしている。

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