対機説法のきかないネット社会

インターネットが普及して、多くの人達に伝えることが可能になった。
だけど、正しく伝えることに関しては、どんどん不自由になっていっている。

「対機説法」とは、お釈迦さまが弟子などに説教する時に使った手法のことで、目の前の相手の精神的能力や性質などに応じてそれにふさわしい手段や例えを使って話をする方法のこと。

「聞き損いは、言い手の粗相」という考え方ですね。

僕らは、話し手の真意を正しく理解することができず、つい誤解してしまうことがあります。
また、いくら言ってもなかなか聞いてもらえずヤキモキすることがあります。

 「あんなに口を酸っぱくして言ったのに、全然言うことをきかない。」
 「こんなに心配してるのに、どうしてわかってもらえないんだろう。」
と、苛立ったり。

 

儒家の始祖、孔子も弟子たちにこの対機説法を用いていました。
有名な話にこんなのがあります。

子路という弟子が、「先生、いいこと聞いたら、僕もそれすぐ実行に移しちゃっていいすかね?」
孔子は答えます。
「君、父さんとか兄ちゃんいるんだから、ちゃんと彼らの意見聞きなさい。そんな勝手に実行しちゃダメダメ!」

また、冉有という弟子も同じこと質問しました。
「先生、いいこと聞いたら、僕もそれすぐ実行に移しちゃっていいすかね?」
孔子は答えます。
「そりゃもちろん!いいと思ったことはすぐに実行に移しなさい!」

それをそばで聞いていた公西華という弟子は、孔子にたずねます。
「先生、どうして子路先輩と冉有先輩に違うこと言ったんすか?」

孔子は答えます。
「子路はアイツでしゃばる癖があるから、ちょっと待てって引き止めたんだよ」
「冉有のヤツは逆に引っ込み思案だからな、すぐやれって進めたんだよ」

 

こんなふうに、同じ結果に導くためには、人それぞれに合った答えを出さなければいけないという考え方なのだけれど、1人対多数が普通の現在ではこういった会話ができなくなってしまった。
1人対1人の場合でも、顔も人柄も職業もわからないとなれば同様だ。

残されているお釈迦さまの語った言葉も、そもそもその場にいる人に語ったものだから、間違った理解を生む結果になるのだけれど、そんなシステムがどんどん一般化していって、「伝える相手の視点」から「伝えられた私の視点」という意識が自然になっていっている。

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