嫌いな人のやることは全て嫌い

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはよく言ったもので、その人を憎むあまり、その人に関係のあるものすべてが憎くなるという状態は本当によくある。

先日もこんな話になった。
「『ちゃんと話し合いましょう』っていうの、どうでもいいよね~。」

そんな言葉が出てきたら、すでに人間関係は破綻している。

人と人の関係って、感情でその人が好きか嫌いかの話だから、正しいこと言ってるから好きとか、素敵なこと言ってるから好きとはならない。
理性的に受け止めれば、別に意見は相違ないけれど、そういう次元の話じゃないし、「ちゃんと話し合いましょう」って言葉を発する側は、「論理としての正しさ」じゃなくて、「存在としての正しさ」を認めてほしがっていることがほとんどだから、もうどうにもならない。

僕も人を嫌いになることはあるし、逆に嫌われることもあるけれど、苦しみの原因は人を嫌ったり嫌われたりすることじゃなくて、人を嫌いにならないようにしようとか、人に嫌われないようにしようと自分をコントロールしようと思うことだ。
正確には、自分をコントロールできると思ってしまうことだ。

関係の修復っていうのは、関係を修復したいと「お互いに」思っているタイミングにしか修復できないのだから頑張ったって仕方がない。

「こんなふうにすれば」
「こんな伝え方をすれば」

そうやって自分をコントロールしようとしたり、相手をコントロールしたりしようとすればするほど、苦しみの世界に堕ちていく。

 

自分をコントロールしたり、相手をコントロールすることは、今日の天気をコントロールするくらいに難しい。

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