「幸せとは」と検索する私

「何か足りない」と、説明できないさみしさを抱えている。
世の中と分離した感覚があって、その答えが何かを探している。

そこに答えはないと分かっているのに、スマホに「幸せとは」とか「幸せになりたい」とか打ち込んで検索している私がいる。
そんなふうに、やさしさに飢えている。

そこに答えはないというのは、「幸せとは何か?」を他人に決めてもらうことではないということだ。

「これが幸せなんですよ」と言ったものをいくら聞いたって、それは言った本人の幸せであり、自分の幸せではないのだから意味がない。
むしろ、「これが幸せなんですよ」という言葉を聞くことによって、より自分が幸せではないというさみしさを覚えてしまう。

「何か足りない」

その感覚は、完璧な状態で起こっている。

海の美しさの下で、たくさんの生き物が棲み、たくさんの争いがあり、たくさんの命が生まれ、たくさんの命が死んでいる。
そして、だから、美しい。

なんの不純もない海など、どこが美しいものか。
いつ見ても、それは完璧で、その完璧がただただ連続している。

「何か足りない」

その感覚も同じように、満たされた完璧の連続の中に起きている。

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