損得勘定で生きる大切さ

人は、いつから損得勘定で生きるようになっていくのだろう?

義務教育下にいる10代の頃って、みんな同じ制服を着て、みんな同じペースで勉強して、みんな同じペースで学年が上がって、損得を意識する隙があまり存在しなくて、だからなんとなく仲良くなりたいとか、なんとなく好きだとか、なんとなく力になりたいとか、なんとなく守ってあげたいとか、心の赴くままに行動するのは自然なことなんだと思う。

だけど、そんなふうに心の赴くままに動いた結果、裏切られたり、何かに失敗したり、また傷つけてしまったり、そんな後悔に必ず出会う。
そして、「あぁ、心だけで決めてしまうことは危険だな」って思ったタイミングで、「自分にとって、得か損か」って頭を使って生きるようになる。

実際、損得勘定で生きると、上手くいくんだけど、上手くいっているのは外的なものだけで、生活だったり外目だったり、だけど他人から見て、「あなたはいいよね~」「幸せじゃん」っていう感覚は、自分の内的なものでは感じられていなかったりする。

最近思うんだけど、心の赴くままに行動したこと、裏切られたことはあったけど、失敗したことはあったけど、傷つくこと、傷つけられることはあったけど、やっぱりそれで良かったなぁ、って思う。
その時は、すごく辛かったけれど、それが過去の思い出として見つめられるようになると、とても美しくキラキラしている。

じゃ、損得勘定で動いたことはどうかというと、正しかったなぁとは思うけれど、むしろ後悔のほうが多くて、過去になればなるほど、醜くくすんだ思い出になっていく。

僕もやっぱり傷つくのは怖いからさ、損得勘定で人や物事を判断して生きてきて、だけどそうやってまた壁にぶち当たって、そんなふうに、結局どっちが良かったんだろう?って考えて、また心の赴くままに生きようかなぁ、と思ってる。

でも、損得を勘定することって、大切なことだと思う。
どうして、それで上手くいかなかったかっていうと、「自分にとって損か得か」を考えて生きていたから。
そうじゃない、損得勘定とは「相手にとって損か得か」を考えることだ。

そして、そこにたどり着くためには、やっぱり「自分にとって損か得か」を考える段階を通らなければいけないということ。
自分のことをしっかり考えられれば、きちんと相手の立場に立っても考えられるようになる。

それを加えて、心の赴くままに動けばいい。
相手にとって得なことを、惜しみなく与えることで、自分が失うものなんて何もない。

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