時間が足りない

最近、やりたいことが多すぎて、時間が足りない。
会いたい人が多すぎて、時間が足りない。

いや、24時間フル稼動で生きられたら、全然時間は足りるんだけど、体力的にも、精神的にも、一定のパワーを持って一日中は過ごせない。

ひとつのことにしか集中できない性格のくせに、色んなことを同時に進めてしまうから収拾がつかなくなってしまう。

適当に(ほどよくという意味で)、扱えたらいいのだけれど、なんだかんだ真面目というか細かいところが気になってしまって、なかなか次のことに向かえない。

「あぁ、いつも遠回りしてるなぁ」
「不器用な生き方してるなぁ」

って思うけれど、遠回りした分だけ、不器用な分だけ、人生に実りを感じているから生き方を変えようとはしない。

20代の頃、あんなに辛いことがたくさんあったのに、苦しいことがたくさんあったのに、いつの間にか、それは願っても来てくれないほどになった。

今でも、嫌なこと、嫌な人は全くゼロではないけれど、それに毎日苦しめられて生きることはなくなった。

本当に苦しい時って、嫌なこと、嫌な人が目の前にはいなくて、心の中でその存在が暴れまわっているから大変なんだけど、今は嫌なことは目の前でしか起こらないし、嫌な人は目の前にしか現れないから、日常を健康に送れてる。

20代の悩みの多くは健全だと思うけれど、30代以降の悩みの多くは不健全なものが多い。
正確にいうと、20代で抱えるべきだった悩みを30代以降に抱えること、20代で解決するべきだった悩みを30代以降もこじらせていることが不健全だということだ。

なんで不健全かというと、救えないから。
少なくとも、僕には救えない。
救ってあげたいとは、何度も思ったことがあるけれど、到底太刀打ちできなくて逆に飲み込まれてしまう。
そして、僕のほうまで不健全になってしまうのだ。

だったら、僕は健全に生きて、救える人だけ救って生きたほうがいい。

あの人は相変わらず不幸を感じて生きてるのだろうし、あの人は相変わらず愛に執着して生きているのだろうし、あの人は相変わらず自分を偽って生きているのだろう。

自分に救えるものが何もない時は、誰でもいいから救ってあげたいと思うけれど、自分にしか救えないものがわかった時、そういった恐れは消えてゆく。

自分にしか救えないもの。
それだけを救っていけばいい。

僕に救いを求めても、僕はあなたを救えない。

世の中には、願っても叶わないものがあって、願わなくても叶うものがある。
でも、なぜ叶うかって、叶わないと感じるのは表面的にそう見えているからであって、本当はちゃんと、本心の叶わないという願いが叶っている。

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