夢時間

本当に楽しかったこと、充実した時ほど現実感を感じなかったりする。
なぜなら、自分が知っている時間のスピードと別の法則でその時間は流れてしまうからだ。
あっという間で、まさに夢のよう。

思い返す時もまた、夢のようで、どんな話をしただとか、どんなことがあっただとかの大半は忘れてしまっていて、だけれど嬉しかったとか、痛かったとか、そういった感情や感覚だけは残っている。

普段、知識をかき集めて生きているくせに、そういった瞬間を味わってしまうと、耳学問なんて全く無意味で不要だなと感じる。
人は、体験を通さなければ何も学べない。

言葉そのものが必要なくなるのは、声色や表情、熱量に知覚がフォーカスし、それを受けて得た感情が記憶されるからであり、「私は〇〇について知っているけど、言葉では語れない」という状態が一番真実に近い。
人に説明する必要性がなければ、それで十分なのだ。

人の記憶は脳だけでなく、細胞記憶といって身体全体のひとつひとつの細胞にも思い出や癖、嗜好などが記憶されていると言われることがあるが、例えばキスをしたり、抱き合ったりすることで、唇に記憶された切なさや、身体に記憶された哀しみが本人も意図しないところで相手の唇や身体に伝えられて、「あなたの〇〇については知らないけれど、あなたそのものについては知っている」というような強い自信と安心感を得られるんじゃないかと思う。

思い返せば夢のような、そんな別の法則で進む時間の世界を体験してしまうと、そんな別の法則で理解し合う世界があると信じてしまう。

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