夢追い人は現実を誰よりも知っている

ライブについての感想はまた別の記事で書くとして、ライブが終わると身体は疲れてしまっているから、ベッドに横になりながら色々考える。
変な時間に目が覚めてしまっていて、朝までずっとアニメなんかも観ていた。

いつの間にか、みんな仲間達は30代に突入して、音楽だけでやっていけている仲間も多いけれど、事務所に入っていたり、メジャーデビューしていてもバイト生活を余儀なくされている仲間もいて、どの仲間も未来の約束も将来の保証もないままに生きていて、馬鹿ばっかだなぁと思う。

音楽だったり、絵だったり、役者だったり、僕らみたいな夢追い人といわれる人種は大体みんな同じように社会から評価されて生きている。

10代で「頑張れ」と言われ、みんなが就職する時期に「そろそろ諦めたら?」と言われ、みんなが仕事に疲れてやめたり転職したりする時期に「ひとつのことをずっと続けててすごい」と言われ、みんなが家族を持つ時期に「そろそろ将来のこと考えたら?」と言われ、そんな見上げられて、見下されての繰り返しだ。

僕は、正しさにはふたつあると思う。
社会的な正しさと、個人的な正しさだ。
言い方をかえれば、依存的な正しさと、独立した正しさだ。

そんなふうに考えるときっと、見上げられるのも、見下されるのも同じことなんだろうなぁ、と思う。
誰かにとって、「自分の選んだ正しさ」を評定するための存在に僕らはなっているんだろうなぁ、と。

僕の周りでいうと、バンドマン達は頭がいい人が多くて(頭がいいというと「勉強ができる人」と勘違いされそうだから、賢い人が多いと言ったほうがいいかもしれない)、音楽以外の仕事をしていればみんなけっこう裕福に生活できそうな人達ばかりだ。

なんでこの記事が「哲学的な生き方」のカテゴリーなのかというと、そんな彼らはとても哲学的に思えるからで、例えば誰かが社会的な正しさを押しつけるなら「それはあなたが感じた正しさではない」と思い、個人的な正しさを押しつけるなら、「それは僕の正しさとは関係ない」と思い、逆に「あなたの正しさは、誰かに認めてもらえないと正しくないのか?」と問うことになる。

例えば、貧しいより裕福が良いという正しさだったり、嫌われるより好かれるほうが良いという正しさだったり、醜いより美しいほうが良いという正しさだったり、そんなことより自分を愛するほうが正しいのではないか?

お金を得られれば自分を愛せるのではないか?と考え、みんなに好かれれば自分を愛せるのではないか?と考え、美しくなれば自分を愛せるのではないか?と考え、努力するのだけれど、お金を失って自信を無くした人を見て、誰かに嫌われて傷つく人を見て、醜さに怯え美しさにすがる人を見てきた。

僕らはいつだって、誰かにとっては見上げられるヒーローで、誰かにとっては見下される愚者だけれども、そもそも別に誰かの評価の下で生きてはいない。

そんなふうに、正しさを知りながら、正しさが正しいと思って生きてはいない。

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